なんでんかんでん・・・元田川市消防団員のブログ

福岡の方言で、何でもかんでもと言う意味です、九州では良く使うかな? 2016年で消防団在籍28年になりました、体調不良その他で3月をもちまして退団しました、これからは過去を振り返りつつ、消防関係を外から見てやろうと思ってます。 従来からの趣味の電子工作・電化製品の修理・畑の耕作等を充実させねばなりませんね なんでんかんでん書いて行きますので、コメント等も大歓迎ですので宜しく~^

火災の記録・品川勝島倉庫爆発火災

出初め式等の記事で、火災の記録がちょいと間が開きましたが
今回は、倉庫火災を取り上げました。
残念な事に、この火災では多くの消防隊員が殉職されました
ちょっと長めですが、同じ轍を踏まない為にもアップしました。



品川勝島倉庫爆発火災(しながわかつしまそうこばくはつかさい)は
1964年に東京都品川区の危険物倉庫で発生した爆発火災事故である。

1964年7月14日21時55分頃、東京都品川区勝島1-4-18の寶組勝島倉庫で
敷地内に野積みされていたドラム缶入りニトロセルロースが発火、爆発。
隣接する103号倉庫のニトロセルロースや105号倉庫のシンナー・ラッカーが次々に爆発・炎上。
通報を受けた東京消防庁はこの火災が例を見ない大規模火災になることを
見越して最初に「火災第2出場」を指令、その後すぐに「火災第3出場」も指令した。
そして10時50分頃には現場に到着した消防隊の「追加要請」の連絡を
受け最高ランクの出場態勢である「火災第4出場」をも指令。
これによりポンプ車など138台をはじめ、当時所有していた化学消防車22台全て
それと海側からは消防艇7隻など東京消防庁始まって以来の大規模な
消防体勢を投入して消火活動に当たった。
最初の出火から約1時間後の夜11時頃、12号倉庫に無許可で保管されていた
プラスチック硬化剤メチルエチルケトンパーオキサイド(商品名パーメックN)が爆発。
隣接する10号倉庫が崩壊し、外壁の下敷きになった品川消防署3名
大井・大森・蒲田・高輪の各消防署4名、計19名のポンプ隊員が殉職した。
道路を挟んだ現場指揮本部も吹き飛び、指揮を執っていた
蒲田消防署長の他、指揮隊など100名以上の消防隊員が重軽傷を負った。

同倉庫は20棟のうち10棟、7,500平方メートルが全焼し、約3時間半後の1時38分に鎮火した。
現場は首都高速羽田線と建設中の東京モノレールに挟まれた一角で、首都高速は一時通行止めになった。

7月20日夕方、同倉庫の守衛長・大橋富士郎(68歳)が川崎市の自宅で
首に包丁を刺して自殺しているのが発見された。
大橋は元海軍軍人で、1918年に海軍兵学校を卒業後、航空畑を歩み
千歳海軍航空隊司令、鹿島海軍航空隊司令、第552海軍航空隊司令などを歴任。
最終階級は海軍少将であった。寶組には1950年に守衛として入社し
その後守衛長に昇進していた。
なお、大橋は本件に関し直接責任を負う立場ではなかった。

この事件で、8月5日に寶組の業務課長(50歳)・業務課長代理(38歳)
・業務課倉庫係(29歳)を業務上失火・業務上失火致死傷および
消防法違反で逮捕。
上記3名は同26日に処分保留で釈放されたが
同日に寶組副社長兼倉庫部長(28歳)・倉庫担当専務取締役ら3名が
業務上失火・業務上失火致死傷および消防法違反で
法人の寶組が消防法違反で書類送検された。

1969年6月30日、東京地裁は、寶組と副社長・専務を消防法違反で有罪とし
寶組に罰金5万円、副社長に懲役8月・執行猶予3年
専務に懲役7月・執行猶予3年の判決を下した。
また業務課長・業務課長代理・倉庫係の3人にも
消防法違反・業務上失火・業務上過失致死傷で有罪と認定し
禁固1年2月の判決を下した。
1974年5月29日、東京高裁は業務課長・業務課長代理・倉庫係の3人について
出火原因を確定できないとして業務上失火罪は無罪とし
消防法違反と業務上過失致死傷で禁固1年2月・執行猶予3年の判決を下した。
副社長と専務については、控訴棄却とした。1976年11月17日、最高裁は上告を棄却し、刑が確定した。

事故の背景

ニトロセルロースは大日本セルロイド製で、1964年東京オリンピックを控えた当時は、塗料の原料としての需要が高まっていた。
発生4日前の7月10日に大井消防署が査察に入った際に、危険物貯蔵許可を受けていた103号倉庫と105号倉庫以外の屋外にニトロセルロース(200kg入りドラム缶100本)を屋外に野積みしていたことについて警告を受けた。その後も撤去しないばかりか保管量を増やし、火災当時は1,000本を超えるドラム缶が置かれていた。消火に当たった消防隊員には、大量のニトロセルロースが保管されていることは知らされていなかった。
発生数日前にサンプル作成のためにドラム缶の内容物の一部を取り出した際に再密封が不完全で、湿潤させていたアルコールが気化し、ニトロセルロースが乾燥したことが発火の原因と推定されている。
12号倉庫には、当初モーターオイルを貯蔵しているとされていたが、鎮火後に焼け跡からパーメックNの容器の残骸が見つかり、無許可で貯蔵していたことが発覚した。この薬品は衝撃等でも爆発する感度の強いもので、事故後の東京都議会での参考人質疑の際に東京消防庁幹部は爆薬同様であると発言している
1964年は、6月11日に昭和電工川崎工場のプロピレンオキサイド製造プラントでの爆発事故(工事作業員ら18名が死亡)、6月16日の新潟地震による昭和石油新潟製油所火災など化学施設での災害が多発していた。



ガソリンスタンドやガスの充填所なら、明らかに危険物が大量に有ると
判りますが、倉庫では所有者が内容を明らかにしないと判らないので
恐いですね。

当地区の火災でも、何故か判らないが倉庫にカセットボンベを大量に
所有しており、延焼に従いボンボンと爆発し初めました。
私はポンプ車に居たので、いつまでもボンボン爆発するので
筒先から戻った団員に尋ねると、本署の判断で燃やしてしまう事に
なったそうだ。

倉庫の場合は、指揮所や車両の部所位置は慎重に考えないといけませんね
延焼が拡がった場合の、後退時の判断も早目に出す位の心持ちで挑むべき
でしょう、命は一つしか有りませんから・・・。

それにしても、守衛長の方は責任を感じられたのでしょうね・・・
軍隊を少将で終わられてるので、責任感も人一倍しょいこんでしまった
のかな?
大勢の殉職者を出した火災の割には、関係者の処分が軽すぎるような
気がしました。