なんでんかんでん・・・元田川市消防団員のブログ

福岡の方言で、何でもかんでもと言う意味です、九州では良く使うかな? 2016年で消防団在籍28年になりました、体調不良その他で3月をもちまして退団しました、これからは過去を振り返りつつ、消防関係を外から見てやろうと思ってます。 従来からの趣味の電子工作・電化製品の修理・畑の耕作等を充実させねばなりませんね なんでんかんでん書いて行きますので、コメント等も大歓迎ですので宜しく~^

3/11

今年も3月11日が来ました、慰霊祭での陛下のお言葉に「国民が心をひとつに」優しい言葉です、私は何も出来ないが、同じ国民として地元で出来る事を頑張るしかないな。
それにしても、阪神淡路の震災から較べると進捗が遅い❗何よりも、優先して復旧・復興を進めて欲しいものです。

5年前のあの日、仕事先で誰かが「東北で大きな地震が起きて津波が・・・」、何を騒いでるのかとテレビを覗くと、真っ黒い水が田畑を呑み込んでいる画像が、恐怖感を覚えました・・・先を見ると、道路を走る車が・・・逃げろ❗と心の中で叫んでた。

今日の記事から

【全文】天皇陛下のおことば 東日本大震災5周年追悼式

ログミー 3月11日(金)17時29分配信
2016年3月11日、東日本大震災の発生から5年が経ちました。「3.11ふくしま 東日本大震災追悼復興祈念式」に出席された天皇陛下は、悼ましい災害の犠牲者に哀悼の意を表し、復興のさらなる進展への思いを述べられました。
天皇陛下のおことば
天皇陛下東日本大震災から5年が経ちました。ここに一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

5年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す死者・行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非情な速さで押し寄せてくるテレビの映像は、決して忘れることができないものでした。

このような津波に対して、どのような避難の道が確保できるのか暗澹たる気持ちになったことが思い起こされます。また、何人もの漁業者が、船を守るために沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心に残っています。

このようななかで、自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体関係者、さらには一般市民が厳しい状況のなかで自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。

地震津波に続き、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染のため、多くの人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが、今なお自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。

こうした苦難のなかで、政府や全国の地方自治体と一緒になって、多数のボランティアが被災者のために支援活動を行いました。また、160を超える国・地域や多数の国際機関、また在日米軍が多大な支援にあたってくれたことも忘れることはできません。

あれから5年、皆が協力して幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。この結果、防災施設の整備、安全な居住地域の造成、産業の再建など進展が見られました。

しかし、被災地で、また避難先で、今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。とくに、年々高齢化していく被災者をはじめとし、私どもの関心の届かぬところで、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心にかかります。

困難のなかにいる人々一人ひとりが取り残されることなく、1日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を1つにして寄り添っていくことが大切と思います。

日本は美しい自然に恵まれていますが、その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。この度の大震災の大きな犠牲のもとで学んだ教訓を活かし、国民皆が防災の心を培うとともに、それを次の世代に引き継ぎ、より安全な国土が築かれていくことを衷心より希望しています。

今なお不自由な生活のなかで、たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、被災地に1日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。

祈りの日、再生誓う=東日本大震災5年で追悼式―安倍首相「復興、確実に前進」

時事通信 3月11日(金)15時35分配信
 東日本大震災から11日で5年を迎え、政府主催の追悼式が東京都千代田区国立劇場で営まれた。
 天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相ら三権の長、遺族代表ら約1090人が参列。震災発生の午後2時46分から1分間、全員で黙とうし、犠牲者への祈りをささげるとともに、被災地の再生を誓った。
 首相は式辞で、「被災地に足を運ぶたびに『まだ災害は続いている』と実感する」としつつも、「一歩ずつだが復興は確実に前進している」と強調。その上で「心と体のケア、新たな地域社会の形成、被災地の産業振興支援などに力を注ぎ、魅力ある地方創生につながる復興を実現していく」と決意を語った。
 天皇陛下はお言葉で「困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく、一日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います」と述べられた。
 岩手、宮城、福島の被災3県の遺族代表も、それぞれの体験を語った。岩手県宮古市出身の山本永都さん(22)は避難中に祖父を亡くし、消防団員だった父は今も行方不明となっている。山本さんは「悔やむ日々が続いた」としながらも、「父や祖父の分まで精いっぱい生きていこうと思う」と語った。
 両親を亡くした宮城県女川町出身の木村正清さん(52)は「お父さん、お母さんの死を無駄にすることなく、微力ながら地域防災に貢献できるよう全力を尽くす」と力を込めた。福島県大熊町出身の佐久間国幸さん(66)は、東京電力福島第1原発事故の影響で避難生活が続く中、「みんなで力を出し合って復興を進めていく」と決意を述べた。

東日本大震災から5年 日本各地で追悼

BBC News 3月11日(金)14時30分配信
1万8000人以上が死亡・行方不明となった東日本大震災からちょうど5年が経った11日、日本各地で追悼行事が行われている。

地震が起きた午後2時46分には、全国で1分間の黙祷が捧げられた。東京では、天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相などが出席して政府主催の追悼式が営まれた。

東京でも追悼の鐘が鳴らされ、地下鉄も一時停止。国内各地で大勢の人が目を閉じ、頭を下げて黙祷した。

10日に記者会見した安倍晋三首相は、「被災したお一人お一人にとって、この5年間はつらく、苦しい日々であったことでしょう」と語り、「今後5年間を『復興・創生期間』と位置づけ、十分な財源を確保し、被災地の自立につながる支援を行っていく」と表明した。

さらに、「資源に乏しい我が国が、経済性、そしてまた気候変動の問題に配慮しつつ、エネルギー供給の安定性を確保するためには、原子力は欠かすことはできません」と述べた。

5年前のこの日、マグニチュード9.0の地震によって発生した巨大津波が東北地方の太平洋沿岸を襲い、壊滅的な被害をもたらした。

津波はさらに、1986年のチェルノブイリ以来最悪の原子発電所事故を引き起こした。福島第1原発津波によって冷却装置の電源を失い、相次いで原子炉のメルトダウン炉心融解)が起きた。

原発事故によって放射線物質が広範囲に拡散。16万人以上が避難を余儀なくされた。大規模な除染が続くものの、大多数の避難民はいまだに自宅に戻ることができていない。

事故を受けて、国内の全ての原子炉が運転を停止。以来、再稼働した原子炉はわずかだ。多くの日本国民が原子力発電に強い不信感を抱くようになり、原発への反対運動が続いている。

日本政府は被災地の復興に巨額の予算を投入しているが、復興はいまだ道半ばだ。

高木毅復興相は、復興が「ハード面」では一定の成果挙げているものの、「ソフト面」で十分でないと指摘した上で、5年以内に完全復興を目指すと述べている。

震災当時、被災地からの避難者は47万人に上った。移住先で生活基盤を築いた人も多い。しかし、多くは精神的な打撃が最も大きな懸念だと語る。

岩手県陸前高田市消防団では51人の犠牲者が出た。団員のひとり、熊谷栄規さんはロイター通信の取材に対し、「インフラは回復しつつあるが、心の方はまだ。時間が解決してくれると思った」と語った。「今でも死んだ人たちの顔が浮かんでくる。悔しさは、表現できない」。