なんでんかんでん・・・元田川市消防団員のブログ

福岡の方言で、何でもかんでもと言う意味です、九州では良く使うかな? 2016年で消防団在籍28年になりました、体調不良その他で3月をもちまして退団しました、これからは過去を振り返りつつ、消防関係を外から見てやろうと思ってます。 従来からの趣味の電子工作・電化製品の修理・畑の耕作等を充実させねばなりませんね なんでんかんでん書いて行きますので、コメント等も大歓迎ですので宜しく~^

制服姿、日米での価値観の違い

制服に対する日本人の珍妙な価値観「警察や消防団員はカフェで甘いコーヒーを飲んではいけない、ブラックは可」

10/23(月) 16:10配信
HARBOR BUSINESS Online
 以前日本で、制服姿の消防団員が消防車でうどん屋に立ち寄ったとのニュースが話題を呼んだ。

 市民から「消防車がうどん店にあった。おかしくないか」とのクレームが寄せられ、消防本部が分団長に口頭注意をしたというのだが、これに「税金で走る消防車で食事に行くべきではない」、「制服でうどん屋は非常識だ」といったクレームに賛同する声が上がる一方、「食事ぐらいいいじゃないか」「腹ごしらえも立派な仕事だ」と、そのクレームや注意の妥当性を疑問視する意見が思いのほか多く上がったのが印象的だった。
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  では、もし休憩中の制服警官や消防士がうどん屋ではなく、カフェで“お茶”をしていたら、どうだろうか。

 筆者が滞在しているアメリカでは、昼食はもちろん、パトカーを路肩に停め、お腰のモノとは全くもって不釣り合いな“スイーツ系コーヒー”でひと息入れる制服警官をよく目にする。また、健康管理のために署内で自炊することの多い消防士が、スーパーの列に“出動時”の格好で並んでいるのもよく見る光景だ。

 こうした制服を着た公務員の“入店風景”は、たとえそれが休憩時間であっても、現在の日本ではほとんど見られないが、アメリカではむしろ、制服警官に食事を提供しなかったラーメン店の従業員が解雇されたり、警察労働組合が商品の販売を拒否したドーナッツ店に対してボイコットしたりしたことがニュースになる。

 今回、筆者が日本とアメリカの「制服警官の行動の許容範囲」に対する意見を募ったところ、日本人129人のうち、8割に当たる104人が「食事はいいのでは」と答えた。

 しかし、やはり「カフェでのお茶」には9割近い116人が「違和感がある」と回答。「サボっているように見える」「拳銃を携帯している時に気を緩めてほしくない」という意見が並ぶ中、「レギュラーコーヒーはいいが、スイーツ系のコーヒーは疑問」といった声もあった。

 さらに、「公園のベンチで制服警官が自前の弁当を食べていたら」との質問には、日本人43人中39人が「気になる」とし、「公園の場合だと水を飲んでいるだけでも気になる」という意見も出た。

 これらの結果をアメリカに住む外国人68人に示したところ、「日本の警察は制服を着ている間は外で休憩できないのか」「署にパトカーを置き、私服に着替えてカフェに行くなど、効率が悪すぎる」「日本の礼儀作法は美しいが、時々美しすぎることがある」「ヒーローだって人間だ」など、7割を超える51人が日本人の意見を異にする一方、日本を訪れたことのある一部の外国人からは、「日本の質の高さはこうして生まれているのでは」と、日本人の見解に理解を示す声もあった。

 以上の結果に鑑みると、前出の「消防団員のうどん屋入店」で出たクレームの発生要因には、「税金使用」以外にも、日本人の抱く「制服に対する印象」が大きく関わっていることが分かる。

 実際、警察関係者数名にこれら制服に関する話を聞いてみたところ、こうした一般市民からの声が多い昨今、やはり制服で食事に行くことは自粛するように通達されているという。もし行くならば、制服が見えぬよう、ジャケットなどを羽織らなければならないとのこと。ただし、「犯罪抑止になる」と店側からも歓迎されるため、コンビニへの制服入店は許可されていることが多いそうだ。

◆制服は「プライド」と見るアメリカ人、「自制の象徴」と見る日本人

 制服には、人を変える力がある。警察・消防の制服や医療関係者の白衣などはもちろん、アルバイト先のエプロンやサラリーマンのスーツ、危険な作業時のヘルメットなども身に着けた途端に頭のどこかで「よし」「さてと」が聞こえてくるから不思議だ。こうした心的変化は心理学上でも「制服効果」または「ドレス効果」として知られており、制服を身に着けることで、団結力やプライドの維持、オン・オフの切り替えなどの心的変化が起こるとされている。

 制服がもたらす影響は、着ている本人だけでなく、見る側にも大きい。

 例えば、医療服には「頼れる」「痛いことをされる」、警官の制服には「正義」や「真面目」などの印象があるため、病院嫌いな人が、健康診断で白衣を見るだけで血圧が上がったり、制服警官に「この車に爆弾が仕掛けられているという情報があった」と言われれば、3億円という大金を積んでいても車を委ねたりしてしまうのだ。

 制服は無論、世界のあらゆるシーンで重宝されているが、中でも日本は他国以上に制服の着用に意味を持たせる傾向がある。幼稚園児には青いスモックに黄色い帽子、小学生にはランドセルを背負わせ、中高生は制服で揃える。その後、大学ではじけた個性は、やがて再び「リクルートスーツ」によって形を整えられる。

 こうして同じコミュニティの者同士、同じものを幼少期から身に着けることで、自分の所属やポジションの認識、規律の順守や忠誠心が育まれ、どの国よりも協調性に秀でた国民性が生まれる。が、その反面、見た目主体で集団統率を図りすぎると、過度に個性や願望が抑えられ、没個性に陥りかねない。「制服は朝何を着るか悩まなくて楽」という考え方は、こうした兆候の現れでもある。

 一方の「個性の塊」であるアメリカ人も、日本人に劣らぬほど“ユニフォーム”が好きな性分である。身に付けているもので自分のプライドを維持しようとする気持ちは、むしろ日本人よりも強い。

 社会人になっても、卒業した名門大学の名が入ったパーカーを着ているニューヨーカーとは毎日のようにすれ違うし、以前紹介した、「医者が医療服のまま外出するのは、異性へのアピールのためだ」とするアメリカ人医師の意見も、彼らのユニフォーム好きを裏付けるものと言えるだろう。

 しかしやはり彼らには、日本のような制服による行動範囲の制限や自粛は、ほとんどない。「いい悪い」はさておき、制服を着ていても一人ひとりの個性や主張が満ち溢れているのだ。

 筆者が執筆作業に利用しているアメリカ某大手のコーヒー店で見るのは、エプロン姿のスタッフが客と混ざって休憩している光景だ。席を探し歩く客を前に、堂々とテーブルを陣取るエプロン姿は「今は休み時間だから」と、悪びれる様子もない。それに対し、客側も文句を言うことは決してないのだ。こうみると、アメリカ人は“制服”ではなく“時間”でオンとオフを切り替えているといえるだろう。

 それに対し、労働時間が長く、オンとオフの境界線が曖昧になりやすい環境にある日本人は、“制服”を切り替えのアイテムとして意味付けようとしているのかもしれない。そう考えると、制服を着たまま食事に行く消防団員に物言いがついたり、休憩中でも制服姿が「カフェでお茶」だと違和感を抱いたりするのにも合点がいく。

 「制服は七難隠す」と言われる通り、もともと制服には余計な個性や情報を抑え、統率を図る目的があるため、日本の制服の意味付けは間違ったことではない。ただ、だからこそ、制服からの情報ばかりに頼ってしまうと、その固定観念から抜け出せず、抱く違和感をまるごと「悪」に変換してしまいかねない。クサい言い方になるが、大事なのは何事にも「中身」だ。

 “スイーツ系コーヒー”まではいかずとも、「休み時間に制服で食事やコーヒー」くらいのリフレッシュに対する世間の許容は、時にクレームで改善させる以上に日本をよりよい国にするのかもしれない。

橋本愛喜】