大阪北部地震 Ⅲ
<大阪震度6弱>通学路の塀崩れ 三宅さん、リーダー的存在
「行ってらっしゃい」「行ってきます」。登校中、ブロック塀の下敷きになって亡くなった大阪府高槻市立寿栄(じゅえい)小4年、三宅璃奈(りな)さん(9)は午前7時55分ごろ、通学路で見守りをしている男性(68)に元気な声であいさつをして学校へ向かった。
普段は1年生の弟と一緒に登校するが、この日は校門であいさつをする当番のため、いつもより早く1人で登校していた。地震が発生したのは、およそ3分後だった。
「女の子が壁の下敷きになった」。他の女児から一報を受けた学校の警備員らが駆け付けてブロック塀を持ち上げようとしたが、重くて持ち上がらなかった。「ジャッキがない」「防災庫の鍵はどこだ」。教職員や消防団員らも次々と集まり、現場には大声が飛び交った。救急隊員が救出し、三宅さんを救急車で搬送した。
塀が倒壊したのは、子供たちが安全に歩くスぺースとして緑色に塗装された場所。「安全なはずの通学路で、まさか塀が崩れるなんて」。見守り活動をしていた女性(41)は不安そうに語った。
三宅さんは明るく、同級生や地域の人たちに慕われていた。同級生の女児(9)によると、三宅さんは小学校の「代議員」として校門で朝のあいさつをしたり、児童集会の司会を務めたりしてリーダー的な存在の人気者だった。女児は「一緒にお絵かきや、おしゃべりをするだけで楽しかった。テレビで亡くなったと知ってかわいそうで、さみしくて涙が出てくる」と話した。
近くに住む女性(71)によると、三宅さんは弟と両親の4人家族。会うたびに「こんにちは」「おはようございます」と礼儀正しくあいさつし、近所の子供とも仲良くボール遊びをする姿が印象に残っているという。
この日夕、小学校の正門前には献花台が設けられ、近所の人たちが手を合わせる姿が見られた。三宅さんを知る女性(63)は、声を震わせた。「いつも髪を可愛らしく飾り、弟の面倒をよく見る優しい子だった。今日も『おはよう』と笑顔であいさつしてくれたばかりだった。地震さえなかったらと思うと、つらすぎてならない」
普段は1年生の弟と一緒に登校するが、この日は校門であいさつをする当番のため、いつもより早く1人で登校していた。地震が発生したのは、およそ3分後だった。
「女の子が壁の下敷きになった」。他の女児から一報を受けた学校の警備員らが駆け付けてブロック塀を持ち上げようとしたが、重くて持ち上がらなかった。「ジャッキがない」「防災庫の鍵はどこだ」。教職員や消防団員らも次々と集まり、現場には大声が飛び交った。救急隊員が救出し、三宅さんを救急車で搬送した。
塀が倒壊したのは、子供たちが安全に歩くスぺースとして緑色に塗装された場所。「安全なはずの通学路で、まさか塀が崩れるなんて」。見守り活動をしていた女性(41)は不安そうに語った。
三宅さんは明るく、同級生や地域の人たちに慕われていた。同級生の女児(9)によると、三宅さんは小学校の「代議員」として校門で朝のあいさつをしたり、児童集会の司会を務めたりしてリーダー的な存在の人気者だった。女児は「一緒にお絵かきや、おしゃべりをするだけで楽しかった。テレビで亡くなったと知ってかわいそうで、さみしくて涙が出てくる」と話した。
近くに住む女性(71)によると、三宅さんは弟と両親の4人家族。会うたびに「こんにちは」「おはようございます」と礼儀正しくあいさつし、近所の子供とも仲良くボール遊びをする姿が印象に残っているという。
この日夕、小学校の正門前には献花台が設けられ、近所の人たちが手を合わせる姿が見られた。三宅さんを知る女性(63)は、声を震わせた。「いつも髪を可愛らしく飾り、弟の面倒をよく見る優しい子だった。今日も『おはよう』と笑顔であいさつしてくれたばかりだった。地震さえなかったらと思うと、つらすぎてならない」
地震の発災がもう少し後か前の時間であったならと悔やまれてなりません・・・。